上塚 司(うえつかつかさ) 明治23年〜昭和53年10月22日(1890-1978)
日本高等拓殖学校の創立者。熊本県出身。明治45年(1912)満州鉄道に入社。外務・農商務省嘱託。満州・朝鮮・蒙古・南部支那・仏領印度支那等を視察。大正12年(1923)丁抹の万国議員会議に出席。大蔵・農商務・商工の各大臣秘書官。大蔵参与官等を歴任。代議士当選4回。国士舘理事。日本高等拓殖学校校長。アマゾン調査団長。アマゾニア産業社長。早山石油・東北鉱山・満州親和木材・五島光学各取締役。帝都座監査役。著書:「揚子江を中心として」、「丁抹土産」、「高橋是清自殺伝」。夫人の鈴は、陸軍少将勝尾信彦の妹。正五位。89歳。
墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓前エリアの左奥。正面「上塚家之墓」。「永昌院徳寿天園居士」。