上領頼軌(うえりょうよりのり) 文政9年〜明治28年10月21日(1826-1895)
長州藩校明倫館漢学教授。山口藩士。陸軍歩兵大佐。上領家17代当主。妻上領楳子の遺言により山口県萩に階級年齢を問わない教育の場「敬愛塾」を開設する。吉田松陰・西郷隆盛らと親交し、「敬愛」の名は、西郷隆盛から贈られたもの。「敬愛塾」は、東京へ移住する明治5年(1872)まで続いた。70歳。
※ 「敬愛」:西郷隆盛は、2度の遠島に遭い、その中で「敬天愛人」を座右の銘とする。天は全ての人を愛す、自分を愛するのと同じように人を愛せ、ということらしい。
上領頼方(うえりょうよりかた) 嘉永5年〜大正3年5月12日(1852-1914)
有栖川宮熾仁親王の高級副官。父、上領頼軌(長男)。上領家18代当主。東京出身。陸軍歩兵大佐。著書:「日本国防論」。63歳。「正行院敬誉端心頼方居士」。
上領三郎(うえりょうさぶろう) 明治22年〜昭和20年12月24日(1889-1945)
教育哲学者・「敬愛小学校」創立者。父、上領頼方(長男)。上領家19代当主。東京出身。満州の間島省立民衆教育館長。妻定子と共に、「すべてのものを愛しむ」との敬愛の教育理念を掲げ、高円寺に「敬愛小学校」を創立。しかし、私財力尽き、昭和12年(1973)3月に閉校となった。しかし、のちに上領頼正らにより、「敬愛学園」として復興させた。57歳。
上領定子(うえりょうさだこ) 明治30年〜昭和49年11月17日(1897-1974)
「敬愛学園」創立者。東京出身。満州にて敬愛幼稚園を経営。引き上げ後、昭和44年(1969)八王子に社会福祉法人「敬愛学園」を創立。初代理事長。上領三郎の妻。78歳。
上領頼正(うえりょうよりまさ) 大正6年?〜平成8年12月28日(1917?-1996)
敬愛学園第二代理事長。父、上領三郎(三男)。上領家20代当主。昭和14年(1939)満州国延吉において、「教育こそ人民を幸福にする! 民衆のために教育を!」この使命と信念の基に「敬愛学舎」を設立。79歳。
墓は、谷中霊園 甲6号6側。正面「上領家之墓」。頼方墓だけ独立しているが、墓誌は一緒になっている。また、墓誌には、上領家の略歴が書かれている。