梅津元晴(うめづもとはる) 慶応3年〜昭和4年11月27日(1867-1929)
日本最初の自転車製造工業化・日本最初のフルーレ選手。旧姓、横田。梅津元熈の養子。茨城県出身。陸軍戸山学校武技体操教官。約20年間軍事教育に尽くす。特に、日本撃剣・柔道・銃剣術を得意とする。銃剣術全陸軍優勝。明治初期の日本陸軍はフランスに学んだので、日本で最初のフルーレの選手でもある。明治30年(1897)ころ臨時運輸通信部宇品支部員(少尉)。明治35年(1902)ころ陸軍歩兵大尉。日露戦争時には北韓大隊長。軍用式自転車を発明。陸軍自転車隊を組織。宮田兄弟と協力して日本で最初の汎用自転車を創作し、国産化と普及に努める。昭和40年(1907)電気分銅線・細線電線工場創設、古河銅山の銅を電線化。明治41年(1908)電気絶縁塗料工場創設。正七位勲四等。63歳。
墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。八角井戸前辺り。正面「梅津家代々墓」。「霊山院元晴日照居士」。顕彰碑あり。