梅沢三二(うめざわさんじ) 天保4年1月20日〜明治15年10月26日(1833-1882)
書家・官吏。名、敬之。字、維思。通称、三二。号、白陽。父、尊円流の大家梅沢台陽(長男)。母、太田氏。代々江戸で教授をする。武術を神道無念流の斉藤善道に、漢籍を儒者亀田綾瀬に、蘭書を蘭学者箕作阮甫に、画を文人画家椿椿山に師事。安政6年(1859)に父が没し後を継ぐ。アメリカ艦の来航で騒がしい時期に国事に奔走。大酒飲みでユーモアがあり、徳川慶喜の側近であり父の門人だった川村正平とも親しかった。文久3年(1863)横浜に赴き外国人の情勢を探ること数ヵ月、また伊豆韮山にて代官江川英龍と川村正平らと同居。明治元年(1868)前橋藩徴士のため京に赴き明治3年(1870)に帰る。明治7年(1874)内務省に出仕し編集を担当。明治11年(1878)地方官会議院御用掛。明治12年(1879)沖縄県属官として首里那覇に4年間住む。明治15年(1882)辞官。同年10月病没。50歳。
※ 尊円流(そんえんりゅう): 尊円法親王が起こした書の流派。
墓は、谷中霊園 乙6号3側。正面「梅沢三二之墓」。伊藤栄寿書による碑文が裏側にある。