浦風林右衛門(うらかぜりんえもん)・9代目 慶応3年12月14日〜大正6年5月17日(1867-1917)
関取。本名、太田与志松(のち本多姓に変える)。父、三右衛門(二男)。石川県小松出身。郷里で鶴ヶ浜を名乗り、相撲道場を経営していたが、明治22年(1889)閉鎖し上京、八角右衛門部屋に入り、小松山与志松と名乗る。初土俵はいきなり幕下附出だった。明治25年(1892)入幕し、前頭筆頭まで進んだ。全盛期には横綱小錦を破ったこともある。明治37年5月引退し、9代目浦風林右衛門を襲名。大正5年(1916)まで検査長を勤める。出勤中に突然心臓動脈破裂で急逝した。最高位前頭筆頭。
墓は、谷中霊園乙3号8側。南寄り。実は、世田谷区烏山の妙寿寺に改葬済みで、墓石が残っている。「松濤院清風居士」。