若柳吉三郎(わかやぎきちさぶろう)・初代 明治24年11月15日〜昭和15年1月28日(1891-1940)
日本舞踊家。本名、新井真護。東京出身。幼時より若柳吉之輔に習い、のち若柳寿童に師事。18歳で吉三郎を名乗る。若柳吉蔵と共に寿童を助け、若柳流を隆盛にした。寿童没後は、柳橋の師匠として弟子を指導。大正13年(1924)に創設された「花柳舞踊研究会」に刺戟され、「若柳流舞踊研究会」を興す。日本舞踊として、はじめて「紀州道成寺」を振り付け、また、「舞踊座」を結成し、新しい舞踊形態の作品「ラグビー」を発表。ついで、演劇と舞踊の中間的な「伊勢音頭」を上演。昭和4年(1929)富山の「八尾四季」に合わせた「新踊り」が生まれた際に振り付けをしている。夫人は、若柳光(前名、吉美津)。孫のジップシーギタリストが、若柳吉三郎を名乗っている。50歳。
墓は、谷中霊園 乙9号右10側。正面「初代若柳吉三郎之墓」。「一心真護大我命/権少教正新井真護命」。