若柳吉蔵(わかやぎきちぞう)・初代 明治12年6月21日〜昭和19年1月25日(1879-1944)
若柳流日本舞踊家元。2世宗家若柳吉蔵。本名、竹内孝太郎。父、竹内金太郎(三遊亭知遊)(長男)。東京日本橋出身。明治26年(1893)花柳流を破門になった2代花柳芳松が若柳吉松と名を改め、若柳流を興した。明治38年(1905)若柳寿童と改名。没後、大正6年(1917)弟子の若柳吉蔵が若柳流2世宗家を継ぎ、初代若柳吉蔵を名乗る。大正9年(1920)「花柳流舞踊研究会」にさきがけ、名取連による「若柳会」を主宰。2世・初代若柳吉蔵没後、養子の若柳吉正蔵が3世家元を継ぎ、2代若柳吉蔵を襲名(のち、2代若柳寿童)。大正15年(1926)「日本舞踊研究会」を組織。昭和9年(1934)子供向けの「日本舞踊若柳学園」を創立。流派が分裂してからは、3世宗家若柳寿郎を名乗り、長男が4代目吉蔵となる。作品:「戻橋」・「良寛と子守」・「二人三番叟」・「富士の雲」など。
墓は、天王寺墓地。神谷伝兵衛墓左横を入る。三遊亭円遊墓域内。さくら通り沿いに三遊亭円遊墓の道標あり。墓誌に「二世宗家若柳吉蔵事竹内孝太郎」とある。「信妙院遊阿弥即真居士」。