渡辺 襄(わたなべのぼる)     明治14年8月16日〜昭和45年2月28日(1881-1970)

    明治-昭和の物理学者。父、渡辺譲(長男)。母、渡辺貴。岐阜県出身。東京帝国大学卒業。明治37年(1904)海軍大学教官兼海軍軍医学校教官。大正8年(1919)農商務省技師兼海運技師。のち、商工技師兼機械試験所技師となり、工務局中央度量衡検定所長。光波長を基準とする基線測定に関する研究で、昭和13年(1938)学士院メンデンホール記念賞受賞。正四位勲三等。89歳。妻は、工学博士金子恭輔の妹スミ子。長男は、巌。

墓は、寛永寺谷中墓地。乙13号右側下。土方家墓下。正面「渡辺」。