渡辺忠綱(わたなべただつな)    ?〜元和9年7月22日(?-1623)

    幕臣。父、渡辺半蔵重綱(三男)。元和元年(1615)12歳で徳川秀忠に召され出仕。父重綱から半蔵家の所領の内、武蔵国比企郡3000石を与えられ幕臣となったが、元和9年20歳で没す。忠鋼の弟の武蔵野本初代藩主丹後守吉鋼(五男:1611-1668)が神田台に渡邉院忠鋼寺を建立し菩提寺とした。その後、忠綱寺は池之端に移転した。

墓は、忠網寺墓地(池之端2-5-43)。墓地の最奥、崖際。「忠綱院殿釈宗円」。