矢部桂輪(やべけいりん) 明治9年〜?(1876-?)
「鬼熊事件」の判事。父、桜井誓応(二男)。愛媛県出身。矢部興功の養子。明治43年(1910)判事、広島地方裁判所・東京区兼同地方裁判所・長野地方兼同区裁判所各判事。熊谷・浦和・前橋・札幌各地方裁判所判事。八日市場区裁判所判事兼千葉地方裁判所八日市場市部長。「鬼熊事件」を担当。宮城控訴院部長。山形・高松各地方裁判所長。昭和10年(1935)退職し、公証人となる。正四位勲三等。妻、養父矢部興功の二女好子。
※ 「鬼熊事件」:大正15年(1926)8月18日千葉県香取郡久賀村(多古町)で、岩淵熊次郎が4人を殺して山中に逃亡。「鬼熊」と報じられたが、村人は逃亡を幇助。40日にわたる大々的な捜査網がひかれたが、9月30日に自殺し幕となった。昭和2年(1927)2月4日矢部桂輪判事が自殺幇助・犯人隠匿罪などに対して判決を出した。
墓は、谷中霊園 甲1号3側。正面「矢部家之墓」。墓誌はないが、「昭和十一年十一月正四位勲三等矢部桂輪建立」とある。