山縣有光(やまがたありみつ)    明治36年6月2日〜昭和57年8月16日(1903-1982)

    日本陸軍大佐・男爵。旧名、船越三郎。父、船越光之丞(三男)。母、松子(山縣有朋の子)。東京出身。有朋の養嗣子山縣伊三郎の養子。大正11年(1922)2月山縣公爵家から分家して男爵となる。学習院、東京地方幼年学校、陸軍士官学校予科、陸軍士官学校を卒業。大正14年(1925)10月陸軍に士官し、歩兵第3連隊付き少尉。昭和7年(1932)陸軍大学校卒業。昭和16年(1941-1944)侍従武官。昭和19年(1944)陸軍大佐。昭和45年(1970)11月復員。

墓は、寛永寺第一霊園。第二霊園入り口より駐車場裏の通路を第一霊園方向に行く。第一霊園との境を越したところ、背後に水舎が見える辺り。厳有院勅額門前より南北通路南へ100mほど。「厳徳院義岳有光居士」。