山木検校(やまきけんぎょう)・初代     ?〜文政3年1月12日(?-1820)

     山田流箏曲家元。前名、木村検校。都名(いちな)、松州一。寛政12年(1800)家村検校に師事して検校に登官。江戸で活動。山田検校と段物の逆弾き合奏をし、山田検校に間違わせたといわれる。のち、本業よりも貸金業の方に精を出していたらしい。「木村検校松州一釈始根浄覚大居士」。

山木検校・2代     寛政12年〜嘉永7年1月23日(1800-1854)

     山田流筝曲家元。本姓、笠井太吉。前名、奥島勾当。都名(いちな)は、大賀一。初代山木検校に師事。文政2年(1819)に検校に登官。美声家として知られる。作曲:「寿くらべ」、「子の日の遊び」、「夏の詠」など。56歳。「福寿院殿前山木検校一幸根日満大居士」。

山木検校・3代     天保7年〜明治6年9月10日(1836-1873)

     山田流筝曲家元。本姓、斎田彦太郎。太賀。37歳。作曲:「松風」。「髪殊院大賀日照居士」。

山木検校・4代     弘化3年〜大正10年6月24日(1846-1921)

     山田流筝曲家元。本姓、小林勝太郎。千賀。76歳。門下に越野栄松や藤井千代賀がいる。作曲:「稀の寿」、「四季の遊び」。「聞法院千賀日悟居士」。隣接する「山木家先祖代々有縁無縁諸精霊位菩提塔」の墓誌にも名がある。

山木検校・5代     大正3年〜昭和56年8月8日(1914-1981)

     山田流筝曲家元。本姓、山木千賀。千賀。67歳。「境行院法詮日賀居士」。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中)。山門を入り、すぐに左へ墓地に入る。左へ通路を行き、突き当りを右に行き、すぐ右側。正面「山田流山木家元歴代継承者供養塔」。正面「妙法山木家 先祖代々/有縁無縁 諸精霊位菩薩塔」。