柳家紫朝(やなぎやしちょう)・初代    明治6年9月9日〜大正7年5月12日(1873-1918)
    新内・粋曲・音曲・都々逸の名人。富山出身。本名、尾山亀次郎。幼年期に失明し、東京に出て初代富士松紫朝に師事。地方巡業中に4代目柳亭左楽に惹かれ明治29年(1896)に柳派に加盟し、3代目柳家柴朝として出演。柴(しば)の字を使用していたが、大正に入り紫にした。なお、初代富士松紫朝から数えると3代目。
吉井勇が柳家紫朝について歌った歌に下記がある。
     ああ紫朝この世をなげく人びとの ためにうひへてあるや夜毎に
     盲目の紫朝の声もさびしかり 寄席の木戸吹く秋の風にも
     秋の夜に紫朝を聞けばしみじみと よその恋にも泣かれぬるかな

墓は、一乗寺(谷中1-6-1)。本堂脇塀側。嵐芳三郎墓に向かい合う。正面「柳家紫朝墓」。「温情院紫朝日唯信士」。