吉田貞準(よしだていじゅん/さだとし)     嘉永5年9月24日〜大正2年1月13日(1852-1913)

    海軍軍医総監。父、吉田貞庵(長男)。福井県出身。明治10年(1877-1879)東京医学校傭から東京帝国大学助教。明治12年(1879-1886)秋田病院長。明治19年(1886)海軍軍医少監、東京病院勤務。明治20年(1887)浪速軍医長。明治22年(1889)呉鎮海兵団軍医長。明治25年(1892)海軍軍医大監。いくつかの病院長などを歴任後、明治34年(1901)海軍軍医総監。明治39年(1906)予備役。妻、大脇文二郎の娘昭子。

墓は、谷中霊園 甲8号2側。安立院側飛び地。背面の板墓誌に名がある。正面「吉田家累世之霊」。「高徳院釈秀貞居士」。