吉村寅太郎(よしむらとらたろう) 弘化5年2月5日〜大正6年1月14日(1848-1917)
旧制第四高等学校長・名誉教授。父、但馬豊岡藩士吉村八太夫(二男)。豊岡出身。池田草庵に学ぶ。慶応義塾卒業。明治6年(1873)文部省9等出仕。以来、広島県外国語学校長・文部省1等属・文部省権書記官・文部省視学官・文部省参事官を歴任。明治20年(1887.4-1897.4)初代第二高等学校。明治35年(1902.5-1911.8)第6代第四高等学校長、のち名誉教授。近代教育制度の基礎づくりに貢献。従四位勲三等。70歳。
墓は、谷中霊園 乙1号5側。正面「吉村家之墓」。「正風院殿剛岳義寅居士」。