ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)    嘉永5年〜大正9年(1852-1920)

    嘉永5年(1852)英国ロンドンに生れ、ロンドン大学で建築を学ぶ。明治10年(1877)1月、日本政府の招聘により来日。工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科)の初代教師となり、日本で初めて西欧式建築教育を行った。東京駅の辰野金吾、赤坂離宮の片山東熊など、近代日本を代表する建築家を輩出、日本近代建築の父と称される。上野の国立博物館、鹿鳴館、ニコライ堂、開智学校、岩崎邸(不忍池周辺ツアー参照)、島津邸、古河邸、桑名の諸戸邸、宮内省庁舎、有栖川宮邸、北白川宮邸、横浜山手教会堂、横浜外人墓地墓標など多くの洋風建築も設計した。退職後も日本最初の建築設計事務所を開設。東京帝国大学名誉教師、(日本)建築学会名誉会長・名誉会員。
河鍋暁斎(かんなべぎょうさい)に狩野派の日本画を学び、日本の建築や演劇、風俗を母国に紹介。東京で没する。