安立綱之(あだちつなゆき) 安政6年〜昭和13年12月2日(1859-1938)
第15代警視総監・貴族院議員。名、彦七。父、旧鹿児島藩士国分市右衛門(二男)。養父、第2代福井県知事である安立利綱。国分友諒の弟。鹿児島県出身。明治19年(1886)警視、以後愛媛・福岡・長崎各県警部長。佐賀県書記官。明治33年(1900)再び警視となり、下谷警察署長。警視総監官房主事。明治35年(1902)内務省警保局長、明治36年(1903)第15代警視総監。明治38年(1905)日露講和条約からみで多数の警察や派出所が焼かれた日比谷焼き討ち事件の責任をとって辞任。明治42年(1909)貴族院議員。正四位勲二等。80歳。
墓は、谷中霊園 甲2号9側。安立利綱墓に並ぶ。正面「正四位勲二等安立綱之墓」。