相島虚吼(あいしま/あいじまきょこう)    慶応3年12月19日〜昭和10年4月4日(1867-1935)

    ジャーナリスト・俳人。本名、勘次郎。茨城県筑波郡出身。「大阪毎日新聞」記者・編集主任・副幹事・顧問。のち国会に出、憲改擁護、閥族打破に活躍。また従軍記者として帰国の際に同船した正岡子規と知りあい、俳句界に入る。正岡子規・高浜虚子門の俳人だった。昭和5年(1930)引退し、「ほととぎす」の同人として亡くなるまで俳句を作り続け、大阪にて没する。69歳。勲四等瑞宝章。著書:「虚吼句集」。
辞世の句: 「大桜十日の春を全うす」。

墓は、谷中霊園甲9号12側。清水釘吉墓の前。さくら通りより30mほど入る。正面「虚吼相島勘次郎之墓」。「乾坤院宙外虚吼居士」。墓に菊地幽芳の撰文がある。