秋葉大助(あきばだいすけ)    天保14年〜明治27年6月9日(1843-1894)

    人力車製造販売。江戸出身。父、武具馬具製造販売業の荒井卯八。3代秋葉助三郎に養子に入る。戊辰戦争で鉄砲や毛布を販売、また東京川崎間乗合馬車を始め大利益を上げる。和泉要助、鈴木徳次郎および高山幸助が人力車を発明し、東京府の人力車総行事となったが、秋葉大助はこの組合に加入し、人力車を銀座に工場を作り製造販売した。後発メーカーであったが泥除けや幌を付けるなど工夫改良を加えた秋葉の人力車は爆発的に普及し、「秋葉商店」は最大級の製造会社となる。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会に人力車を出展し、鳳紋章を受賞。明治23年(1890)東京諸車製造組合総代に就任。明治24年(1891)諸車製造業幹事に就任。中国をはじめとした輸出にも貢献した。大正12年(1923)の関東大震災で被害に遭ったのを機に、減少した人力車製造を止めた。

墓は、本光寺(谷中1-5-2)。山門を入り左側すぐ。「大興院円道日乗居士」。