粟屋謙(あわやけん)    明治17年〜昭和13年4月2日(1884-1938)

    文部次官。野々村勘九郎の孫。山口県出身。旧制第三高等学校(京都大学の前身の一つ)卒業。大正2年(1913)内務省にあった宗教局が文部省に移管されたのを機に、タブーであった宗教法制定に尽力。大正9年(1920)名古屋高等商業学校校長事務取扱。昭和2年(1927)文部次官。昭和4年(1929)一度退官するが再度任官する。昭和7年(1932)8月23日国民精神文化研究所の初代所長(代行)。昭和8年12月23日に現天皇陛下ご誕生を機に昭和天皇から75万円の下賜があり、昭和9年3月13日「恩賜財団愛育会」の設立に文部次官として参画。従三位勲二等。54歳。

墓は、谷中霊園 乙2号8側。古沢滋墓前。正面「従三位勲二等粟屋謙之墓/米子」。