東乙彦(ひがしおとひこ)    明治3年7月9日〜昭和11年10月13日(1870-1936)

    陸軍中将。明治30年(1897)12月28日陸軍大学校入学、明治33年(1900)12月20日卒業。大正8年(1919)北京公使館附武官時に張作霖支援をめぐる意見を軍中枢に述べる。下関要塞司令部司令官(少将時代:大正11年8月15日-大正12年8月6日)。 従三位勲二等。67歳。「至誠院殿勲誉顕忠乙彦大居士」。

東義胤(ひがしよしたね)     明治31年〜昭和57年4月12日(1898-1982)

     営団地下鉄理事・日本鉄道運転協会初代会長のち名誉会長。正四位勲二等。逸話としては、地下鉄東西線の車体帯のブルーは東義胤運転部・車両部分掌理事(当時)の指示によりタバコの「ハイライト」の色が採用されたという。84歳。

墓は、谷中霊園 乙3号8側。古沢慈墓前。正面「東家墓」。