英文学者・随筆家。高知県出身。本名、勝弥。父、土佐藩士馬場来八(四男)。明治11年(1878)父母とともに上京し、明治12年(1879)下谷忍ヶ岡小学校に入学。16歳で共立学校(開成中学校)に入学して英語を学び、明治22年(1889)明治学院に転じ明治24年(1891)明治学院第一回卒業生となる。同窓生に島崎藤村(春樹)・戸川秋骨が、また下級生に岩野泡鳴らがいる。卒業後、郷里高知の共立中学校で英語の教鞭を執る。明治26年(1893)「文学界」創刊と同時に上京し同人として参加。日本中学で教鞭を執りながら、明治26年(1893)の「酒向川」をはじめとして、6編の長編新体詩を相次いで発表。また、「片羽のをしどり」など5編の文語体小説を発表するなど、小説・評論・詩に幅広い活躍をした。明治28年(1895)突然彦根中学に赴任し、のち明治30年(1897)ころ再び上京し、日本銀行に9年間勤務。一貫して仕事を持ちながら作品を書き上げてきた。明治39年(1906)慶応義塾大学教授。昭和5年(1930)まで英文学を教える。明治39年(1906)森田草平・生田長江らと「芸苑」を発行。大正に入り、大杉栄・荒畑寒村らの思想に共鳴し親交を持ち、樋口一葉とも親交があった。またトルストイの「戦争と平和」などヨーロッパ文学の翻訳紹介に尽力した。さらに、日本著作家協会や著作家組合結成に尽力。兄に、自由民権運動の政論家馬場辰猪がいる。