坊城俊政(ぼうじょうとしただ)    文政9年8月22日〜明治14年9月16日(1826-1881)

    式部頭・公卿。坊城家21代当主。父、坊城俊明。慶応元年(1865)兄俊克が没し家督を相続。慶応2年(1866)孝明天皇御凶事奉行。慶応3年(1867)蔵人頭。明治元年(1868)明治天皇御元服奉行・同親征大阪行幸奉行・参議・従3位右大弁宰相・参与・弁事。ほか大宮御所別当・行政官弁事。近代宮中の祭祀典礼の基礎作りに尽力し、神社祭式を作成。明治4年(1871)大嘗祭で御用掛。子に坊城俊章。坊城家は、藤原北家勧修寺流。中納言吉田経俊の子俊定が坊城を号した。従二位勲二等。56歳。

墓は、谷中霊園 乙12号8側。坊城俊章墓の奥。標識正面「故式部頭従二位勲二等坊城俊政墓/室 志計子墓」。