太宰春台(だざいしゅんだい) 延宝8年〜延享4年5月晦日(1680-1747)
江戸時代中期の儒学者。本名、平手純。幼名、千之助。字、徳夫。号、春台・紫芝園。通称、弥右衛門(弥左衛門?)。太宰金左衛門言辰(謙翁)の養子。15歳で但馬国出石藩松平伊賀守忠徳の姓頭として仕えたが長続きしなかった。初め中野為謙に学ぶ。江戸に出て、朱子学を放棄し荻生徂来(おぎゅうそらい)の門下となる。正徳元年(1711)32歳のとき、下総国生実藩に勤めたが4年で辞めた。経世学にすぐれ、「経済録」、「経済禄拾遣」、「易占要略」、「古文孝経礼安国伝」、「紫芝園漫筆」、「独語」などの著書があるが、その他に詩文、天文、暦学、算学、医学などにも通じていて、のちに平賀源内や田沼意次に影響を与えたといわれている。68歳。
墓は、天眼寺(池之端4)。山門から左に墓地に入り、右へ通路を折れる。正面「春台太宰先生之墓」。指定史跡。