荻生徂徠(おぎゅうそらい)    寛文6年〜享保13年(1666-1728)

    儒学者。江戸二番町に生まれる。元禄9年(1696)から柳沢吉保に仕え、五代将軍徳川綱吉の学問相手を勤めた。元禄14年(1701)の江戸城松の廊下の事件(赤穂浪士の事件)で「擬自律書」を著して処分を上申した。柳沢失脚後、職を辞し学問に専念。徹底した古文辞学を提唱し思想界強い影響を与えた。荻生徂徠は、中国儒学から日本儒学の独自性を確立。学問と政治の分離を促した。門下に太宰春台・服部南郭らがいる。著書:「政談」、「弁道」、「太平策」、「政談」など多数。