延命院(えんめいいん)    創建:慶安元年(1648)

場所:荒川区西日暮里3-10-1
アクセス:JR・京成日暮里駅の北口谷中墓地側に出て、御殿坂を登りまっすぐに約100m、右側。

     宝珠山延命院。日蓮宗。本尊:大曼荼羅・莚師法縁。慧照院日長の開山により創建。寛永17年(1640)日長は第3代将軍徳川家光公に呼ばれ側室於楽方の男子出産と安産の祈願を命じられる。寛永18年(1641)日長は第4代将軍家綱公の出生際安産を祈祷。出生すると再び呼び出され家綱公の武運長久と国家安泰の祈願を命じられる。日長は、家綱の乳母三沢局の信施を受け、甲州身延山の七面大明神を勧請。別当寺として創建。その後、慶安4年(1651)家綱が将軍になると、延命院は徳川幕府永代祈願所となり、その後は、七面堂・書院・庫裡・釈迦堂・番神堂・宝珠稲荷堂など諸堂宇が建立されていった。貞享元年(1684)水戸光圀公が鷹狩りの帰路延命院に立ち寄り武運長久と国家安泰を祈願したことが縁となり水戸徳川家の永代祈願所となった。安政2年(1855)10月の安政大地震、慶応4年(1868)5月の上野彰義隊戊辰戦争、大正12年の関東大震災、昭和20年(1945)3月の太平洋戦争など、何回も壊滅的打撃を受けたが、その度に再建補修され現在にいたる。
本堂に向かって左側にある七面大明神(七面天女)は、慶安3年(1650))に造られたもので三沢局をはじめ多く人の信仰を集めた。境内には、樹齢600年を超すと言われる椎の木があり、東京都指定天然記念物である。享保年間(1801年〜1804年)この寺に来山したイケメンの僧侶日道が「延命院事件」を起こしたことでも知られる。

※ 七面大明神:木造七面明神立像が祀られている。胎内に慶安 3年(1650)法寿院日命が願主となり、仏師弥兵衛の手で作られたことを記した銘文があり、秘仏とされる。法華経の守護神であり、毎月19日に延命院七面講として祈願会が開催されていて、誰でも自由に参加できる。ちなみに、門前から右に下る坂は七面坂と呼ばれている。

※ 大椎:天保7年(1836)開板の「江戸名所図会」巻五の「日暮里惣図」に、現在地と思われる位置に本樹の全容が描かれていて、600年を超す老樹であるといわれる。平成9年(1997)の調査では幹周り5.5メートルの巨樹だったが、平成14年(2002)5月に幹内部の腐朽が原因で南側の大枝が崩落した。

※ 三沢局。家綱出生の際に安産を祈祷して開創したとする説があるが、家綱は、寛永18年(1641)生れであり、1648年の開基とは数年の不一致がある。