福地信世(ふくちのぶよ) 明治10年7月15日〜昭和9年5月22日(1877-1934)
地質学者の権威・舞踏作家。父、福地桜痴(五男)。東京下谷出身。明治33年(1900)東京帝国大学理科大学地質学科卒業。大学院で研究後、明治38年(1905)古河鉱業会社に入社。のち帝国大学理学部講師。また、演劇にも通じ、藤蔭静枝・花柳寿輔・花柳寿美の後援者であった。晩年は、舞踏界に関わり国民文芸会幹事、多くの新舞踏会の顧問となる。なお、なぜか麻雀に関する情報も多い。著:「東亜地質図」、「南洋地質図」、「日本鉱物誌」、「支那の芝居の話」。
福地言一郎(ふくちげにちろう) 明治44年〜昭和42年6月6日(1911-1967)
厚生省薬事審議会委員。父、福地信世。福地源一郎の孫。東京出身。昭和7年(1932)東京大学薬学科卒業。三共製薬工場技師。三共製薬取締役兼研究部長。厚生省薬事審議会委員。妻は、白城員一の長女孝子。
墓は、甲1号12側。福地桜痴と並ぶ。正面「福地家之墓」。信世:「理性院信誉宏道義念居士」。言一郎:「恭謙院言誉温厚慈済居士」。