福岡健良(ふくおかたてよし)     安政3年10月15日〜明治38年6月23日(1856-1905)

    古河鎔銅所長・鉱業家。旧姓、三田村。福井県出身。7歳のとき埼玉県深谷の医師 福岡春海の養子となる。尾高淳忠に学び。渋沢栄一の支援を受けて、明治5年(1872)伊東玄伯の塾開成学校官費生となる。鉱山寮14等出仕。小坂銀山顧問技師として活躍。のち第一国立銀行に勤務。明治12年古河市兵衛に招かれ、のち足尾銅山古河鎔銅所長。軽便消火器および軽便湯沸器を発明。49歳。妻、福岡鯤(安政6年3月6日〜明治45年7月20日)。

墓は、谷中霊園 甲1号甲1側。霊園管理事務所脇。正面「福岡健良之墓」。