船越重舒(ふなこししげじょ)    天保元年10月15日〜明治26年1月5日(1830-1893)

    初代長野下伊奈郡長。通称、精一郎。号、完斎。父、上田藩桜井徳基(二男)。同藩松倉珍重養子。慶応2年(1866)大阪に赴任。明治元年(1868)信濃藩出伐に従軍し負傷。明治2年(1869)東京藩邸に移り、大属。廃藩置県後、上田に戻り長野県少属のち中属補。明治12年(1879)4月1日初代長野下伊奈郡長。明治15年(1882)上水内郡部長。翌年下水内郡部長。のち上田町長に推薦されるも辞退。64歳。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。山門横付近。桜井純造墓そば。正面「忠良院日精完斎居士/温良院妙貞日常大姉」。桜井純造の弟と思われる。