古川氏清(ふるかわうじきよ)    宝暦8年〜文政3年6月11日(1758-1820)

    幕臣で和算家(数学者)。幕府の勘定奉行。通称、吉次郎または吉之助。字、?璋。号、不求。父、古河氏美。中西流を関川庄右衛門美郷に、久留島流を安井籐三郎信名に、関流を栗田安之に学び、遂に3流を取捨して至誠賛化流という一派を起こした。奥右筆などを経て文化13年(1816)勘定奉行(任官:1816-1820)となる。江戸時代には整数論、解析学といった高等数学も関孝和などの和算家によって発展し、この弟子たちの後継者を関流という。63歳。

墓は、東淵寺(池之端2-4-25)。本堂横を行き、六地蔵前を通り、本堂裏から2本目の通路を行く。ほぼ中央の右側。金原亭馬生墓の手前3基目。正面「温良院殿従五位下前城州刺史譲岳祖恭大居士/蓮光院殿荷◇放香大姉」。「温良院殿前城州刺史譲岳祖恭大居士」。

※ 東京掃苔録によると息子の古川氏一(1783-1837)墓もあるとしているが、見つからない。お寺に尋ねても分からないと言う。歿年に大差がないので合祀されているかも知れない。名、謙。通称、新之丞。号、芳春。天保8年6月21日歿55歳。「泰寛院殿信応道惠居士」。なお、当墓は、事実上無縁墓になっているという。