古澤南洋(ふるさわなんよう)    文化7年〜明治9年7月7日(1810-1876)

    土佐勤王派志士。本名、古沢義正。通称、八左衛門。号、南洋。父、土佐藩家老深尾氏の家臣井原源三郎。古澤与一左衛門の養子。高知出身。年少で江戸に出て、平山行蔵の子平山栄三郎に師事し文武を修め、帰国して佐川の名教館教授となり、多くの門下生を指導する。文久元年(1861)武市瑞山(半平太:1829-1865)が勤王党を結成すると一族でこれに参加。門弟と共に国事に奔走する。文久3年(1863)息子古澤圭一郎・古澤迂郎兄弟・井原応輔(1843-1865)・浜田辰弥(田中光顕)・橋本鉄緒(大橋慎三)・那須盛馬(片岡利和)を上京させ、翌元治元年(1864)浜田・橋本・那須らが脱藩するに当たり下獄。維新後許され東京に移る。子に岩神圭一郎(長男)。古澤滋(迂郎)(次男)がいる。正五位。67歳。

墓は、谷中霊園 乙2号9側。正面「南洋古澤先生之墓」。