護国院(ごこくいん)     創建:寛永2年(1625)

場所:  台東区上野公園10-18
アクセス: JR千代田線根津駅より言問い通りの善光寺坂を登り、登りきった辺りの信号を右に曲がり、約100mの突き当り。

    東叡山寛永寺護国院。天台宗。本尊は、釈迦牟尼如来。天海僧正の弟子の生順僧正(贈大僧正)が開基で、東叡山寛永寺三十六坊の一つ。寛永寺最初の子院である。創建当時は、現在の国立博物館の裏手に造られた。その後宝永7年(1630)天海僧正により御堂が建てられ、古佛師春日の作といわれる釈迦三尊坐像・文珠菩薩・普賢菩薩の3尊像を安置し本尊としたため、 この御堂は釈迦堂と名づけられた。同時に護国院は、附属寺として釈迦堂の管理をすることとなった(別当寺)。釈迦堂は大層立派なもので、元禄年間に根本中堂ができるまで、総本堂としての役割をはたした。目黒不動瀧泉寺をも兼務していた名刹である。慶安4年(1651)3代将軍徳川家光の霊殿建設のため、北に移設となり、延宝8年(1680)4代将軍徳川家綱の霊殿建設のため移転、さらに宝永6年(1709)5代将軍徳川綱吉の霊殿を建設するために、現在の場所(※)に移転となる。享保2年(1717)釈迦堂は焼失し、享保7年(1722)に再建された。昭和2年(1927)市立二中(上野高等学校)の創立のために、寺領の後の大半を譲渡し、釈迦堂を参道を短くして手前(現在の場所)に引き出したのを契機に護国院の本堂となる。本尊の左右には獅子と象それぞれに乗った文殊菩薩と普賢菩薩がある。左壇は千手観音、右壇は若大黒天がまつられている。谷中七福神の大黒天で藤原信実卿の作で、寛永16年(1639)大阪城落城25年の大法要の折に3代将軍徳川家光公が奉納したものである。さらに、千躰仏が1,350体安置されている。山門を入り右には、禅宗様式の手水屋がある。左側には楽堂がある。本堂右の庫裏の1階は、昭和2年(1927)の新築で、東京美術学校教授岡田信一郎の設計で国有形文化財。上記経緯のように、寺領の大半を譲渡したため現在は墓地がなく、多くが近隣を含めた他寺の墓地に移された。なお、山門前の信号のある交差点のところに"清水門"があり、寛永寺寺領への出入りをチェックしていた。

※ 明治10年(1877)の下谷区(台東区)の調査資料には、上野桜木町38番地となっているが、古地図ではこの番地にはなく、上野公園内(現在の場所)にあり、不自然。ミスプリントと思われる。