萩原西畴(はぎはらせいちゅう) 文政12年〜明治31年2月19日(1829-1898)
漢学者。名、裕。字、公寛・好問。通称、英助。号、西畴。父、儒者萩原善韶(嵩獄)。東京出身。父を3歳で亡くし、読書を好まず。14歳の時勉学に目覚める。はじめ叔父の萩原緑郎(楽亭)に学ぶ(祖父、大麓・片山兼山説あり)。26歳で儒業を修め新井白石の「読史餘論」を校訂し刊行、名声を上げる。米艦来航もあり、林洞海・杉田成卿に師事し洋学を学ぶ。明治初期に伊予今治藩に招かれ3年間藩政に参加。廃藩置県後東京に帰り、明治5年(1872)陸軍省に出仕。のち、修史局勤務。明治14年(1729)再び太政官に入り。宮内省にて「台湾琉球始末」、「善隣始末」など外交史の編纂にあたる。修史局廃止後は、退官し私塾を開く。晩年に学習院・高等師範学校講師。正七位。70歳。著書:上記のほか「顕承述略」、「宣戦詔勅釈史」、「鹿鳴園叢書」、「東坡外伝」、「献承述略」、「女訓」、「諸子大意」、「四子左氏伝講義録」、「古本大学講義録」、「虚子註解」、「詩文集遺稿」など。69歳。
墓は、谷中霊園 甲6号17側。正面「萩原家之墓」。「西畴院」。太田謹書。