浜村蔵六(はまむらぞうろく)・4世     文政9年〜明治28年2月24日(1826-1895)

    篆刻家(てんこくか)・詩人。江戸時代中期から明治時代にかけて5代に亙って活躍した篆刻家の名跡。備前岡山出身。姓、正本のち塩見。名、観侯。字、大解(+立心遍)。号、蔵六。別号、薇山・雨村。通称、参蔵。3代蔵六に学び、師の養嗣子となり、4代を継ぐ。詩書を得意とする。70歳。著書:「蔵六居印譜」。

※ 初世(1735-1794)が亀鈕銅印を所蔵していたことから亀を表す蔵六と号した。この亀鈕銅印は代々宝印とされ現在は東京国立博物館が所蔵。

浜村蔵六・5世     慶応2年〜明治42年11月25日(1866-1909)

     篆刻家。姓、三谷。名、裕。字、有孚。号、蔵六。別号、無咎道人・彫虫窟主人。通称、立平。父、国学者三谷大足(二男)。青森弘前出身。幼くして父を失い、東奥義塾で洋学を修める。明治22年(1889)上京。初め篆刻を金子蓑香に学び、蓑香没後は浜村薇山(上記)に師事、のち才能を認められ養嗣子となり明治27年(1894)5世を継ぎ、亀鈕銅印を授かる。向島に住んだが諸国を暦遊し、清国に渡り、呉昌碩と交わり作風が大きく変わる。「旅窓鉄戯」を著わし、陶製文字を創意。火災に遭い代々伝えられた印籍類など貴重な書物を焼失。チフスで病死。44歳。著書:「鉄筆目録」、「刻蟲窟印藪初集」、「蔵六居印藪」、「結金石縁」。

墓は、天王寺墓地。千人塚前通路に入り、千人塚手前の牧野富太郎墓へ行く通路入口左側2基目。4世と5世が2基並ぶ。4世は左側。正面「晩悔院賽香薇山居士」。5世は右側。正面「華蔵院天仙無咎居士」。植え込みのため墓碑裏の写真撮れず。