林 直庸(はやしなおつね) 天保9年〜明治27年5月22日(1838-1894)
皇太后宮亮・土佐挙兵計画事件。旧高知藩士。東京出身。慶応4年(1868)雇士となり府判事、試補次席。佐原純一・薗鑑・桂川甫策らと共に准徴士、正院8等出仕。権少内史。高知立志社員となる。西南の役に川村僑一郎と共に政府の密偵として土佐での動向を報告。のち、大江卓・林有造らとの連座で明治10年(1877)大坂で逮捕され禁固1年(土佐挙兵計画事件)。明治15年(1882)宮内省6等出仕。3等掌典、のち掌典、掌勲局2等秘書官。狩猟官。明治22年(1889)皇太后宮亮。正六位。57歳。子に林民雄がいる。
※ 皇太后:中山慶子(なかやまよしこ:天保6年11月28日〜明治40年10月5日)。孝明天皇の妾。明治天皇の母。
墓は、谷中霊園 乙4号5側(低地側)。正面「林直庸之墓」。