林 民雄(はやしたみお)     慶応元年5月23日〜昭和11年11月11日(1865-1936)

    日本郵船専務。父、林直庸(長男)。高知県出身。大学予備門に学ぶ。のち明治18年(1885)渡米しペンシルバニヤ大学政治理財学科に学び、バチュラー オブ フィロソフィの学位を得る。欧州各国を視察して帰国。明治24年(1891)日本郵船に入社。営業部回漕係長・支配人、横浜支店長・上海支店長。明治37年38年(1904-5)の日露戦争時には大連で御用船事務。明治39年(1906)客船課長。のち事務取締役。日本郵船客課長、のち日本郵船専務。大正期には、法蔵院書院のあるところを別荘としていた。勲四等。71歳。夫人は、元帥侯爵野津道貫の二女栄子。

墓は、谷中霊園 乙4号5側。低地側。正面「林家祖先之墓」。