土方雄高(ひじかたかつたか)    慶長17年〜慶安4年9月8日(1612-1651)

    第2代伊勢国菰野藩主。初名、雄春。通称、勝五郎・杢助。父、初代藩主土方雄氏(長男)。母、織田信雄の娘八重姫(織田信長の孫娘)。正室、掛川藩主北条氏重の娘鶴姫。初名、雄春。通称、勝五郎・杢助。従五位下、丹後守。江戸生まれ、菰野育ち。寛永9年(1632)将軍徳川家光に謁見。寛永12年(1635)父の隠居にともない家督を相続し、第2代菰野藩主となる。領内に見性寺を建立して土方家の菩提寺とした。朝鮮通信使の饗応役をしばしば勤める。従五位下、丹後守。40歳。正室は、北条氏重の娘鶴姫。家督は男子がいなかったので弟土方氏久の子土方雄豊が継いだ。

墓は、谷中霊園 乙13号右3側。当墓碑の墓誌にあるが、本墓は、菰野見性寺。正面「先祖代々之墓」。「不見院殿形道宗無大居士」。鶴姫は、慶安2年(1649)10月23日歿、「智宝院殿大相妙色大禅定尼」。墓誌の詳細は、 こちら