土方雄氏(ひじかたかつうじ)    天正11年〜寛永15年6月28日(1583-1638)

    伊勢国菰野藩の初代藩主。字、杢助。通称、彦三郎。父、土方雄久(長男)。慶長3年(1598)従五位下、丹後守。父雄久が徳川家康を暗殺する計画容疑で、常陸国に送られたときに連座し父と共に送られた。慶長5年(1600)関が原の戦いを目前にして許され、徳川秀忠の家臣となる。同年1万2000石の大名となり、菰野藩を立藩、初代藩主となる。慶長19年(1614)からの大坂の陣では首2級の功績を挙げる。寛永12年(1635)致仕。長男の雄高に家督を譲る。56歳。ただし、雄氏が庶子のため父の所領は弟で嫡子の土方雄重が継いだ。正室は織田信雄の娘八重姫(織田信長の孫娘)。

墓は、谷中霊園 乙13号右3側。当墓碑の墓誌にあるが、本墓は、京都市北区の功運院。正面「先祖代々之墓」。「見性院殿堅翁宗固大居士」。八重姫は、延宝7年(1679)5月24日歿、92歳、「王雄院殿寂巖順光大禅定尼」。墓誌の詳細は、こちら