平野義太郎(ひらのよしたろう)    明治30年3月5日〜昭和55年2月8日(1897-1980)

    法学者・反戦平和活動家。東京出身。昭和11年(1936)にコム・アカデミー事件が起こり、左翼思想の平野義太郎・山田盛太郎氏など東大の「講座派」の学者が思想弾圧のため検挙され免官となる。その後、大東亜共栄圏の理論的構築に参与するなど御用学者と位置づけられていたが、戦後は反戦平和活動家として戦後の賠償問題や日本人帰国の問題について尽力した。「日本平和委員会」会長。「日本学術会議会員」「国際民主法律家協会」副会長。祖父に平野富二がいる。著書:「マルクス主義法学」「日本資本主義社会の機構」「馬城大井憲太郎」「反戦の人々」など。

墓は、谷中霊園11号14側。祖父の平野富二墓に並ぶ。「平和に生きる権利」の碑が甲1号1側の平野富二碑脇にある。