平尾賛平(ひらおさんぺい)・初代     弘化3年〜明治30年1月31日(1846-1897)

    東京に存在した有名化粧品メーカー「岳陽堂」創業者・ミュージシャン平尾昌晃の曽祖父。静岡出身。明治11年(1878)東京日本橋馬喰町に化粧品店「平尾賛平」商店を開業し、化粧水「小町水」を発売。翌年屋号を「岳陽堂」に改名。明治24年(1891)ヒット商品「ダイヤモンド歯磨」を発売。一方、彫刻家の高村光雲・後藤貞行と交流、高村光雲の東京美術学校教員時代には資金援助している。52歳。

平尾賛平・2代/平尾聚泉(ひらおしゅうせん)     明治7年〜昭和18年2月14日(1874-1943)

     ミュージシャン平尾昌晃の祖父。本名、平尾太郎。号、聚泉。明治26年(1893)慶応義塾を卒業。父没後「岳陽堂」2代目社長に就任。明治座の9代目市川団十郎の「児雷也」の背景に、商品名「日本美人」を記した錦絵広告を出したり、巨大な広告塔を作るなど異色は宣伝をする。大阪・中国・韓国にも進出。大阪には中山太陽堂の「クラブ化粧品」があり、「東のレート、西のクラブ」として人気を競った。一方、古銭の蒐集家で、新聞広告を出して募集し古銭を買い集めた。このため邸宅は「平尾麗悳莊」と呼ばれた。戦後「レート化粧料本舗」となるが、昭和29年(1954)廃業。紺綬褒章受章。70歳。長男、賛之助(昭和48年10月31日没・74歳)。妻、静岡県野崎衛七の3女ちょう(昭和39年9月14日没・85歳)。四男は、作曲家平尾貴四男(1907-1953)。著書:「初代平尾賛平小伝」、「昭和泉譜」。

墓は、谷中霊園 乙8号10側。牧野子爵墓の前辺り。正面「平尾家之墓」。