本阿弥光徳(ほんあみこうとく)     天文23年〜元和5年(1554-1619)

     陶工・画家・刀剣鑑定・研磨家。本阿弥本家9世。本姓、松田益忠。父、8世本阿弥光刹。本阿弥光悦の従兄弟。京都出身。祖父本阿弥光心にはじめ実子が無かったため、光悦の父本阿弥光二を養子としたが、のちに本阿弥光刹が生まれ、光二は分家し独立する。光徳は、家業のほかに松田流軍学の師範でもある。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に歴任。文禄の役には、40万の兵隊の食糧・軍需品の兵站補給を務める。老後は、世が平和となり専ら刀剣鑑定を行う。光悦より5歳上である。秀吉の知遇を得て銅印を拝領し、家業の全盛期であった。本阿弥家中興の祖と称される。妻は、本阿弥光悦の姉妙光(?-1617:「正信院妙光日経大姉」)。

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)    永禄元年〜寛永14年2月3日(1558-1637)

    安土桃山時代から江戸初期の書家・画家・工芸家。初名、次郎三郎。号、太虚庵・自得斎・得友斎・空中庵・鷹峰舎。京都出身。父、多賀豊後守高忠の二男片岡次太夫宗春の子本阿弥光二(次郎左衛門)。母、祖父本阿弥光心の娘妙秀。光心に実子本阿弥光刹が生まれ、光二は宗家を光刹に譲り分家となった。近衛信尹(このえのぶただ:1565-1614)、松花堂昭乗(しょうじょう:1584-1639)と共に「寛永の三筆」の一人。富豪で、代々刀剣の鑑定、磨き、浄拭(ぬぐい)を家業とした本阿弥家(分家)に生まれる。光悦も家業・家風を継承し、書画・漆芸・製陶にも優れた。特に茶道に精進し、蒔絵・茶碗など茶道具の意匠に多くの名作がある。元和元年(1615)徳川家康より洛北鷹が峰に土地約9万坪を与えられ移住し、「皆法華」の芸術家村を作って多くの芸術家を住まわせた。創作と遊び三昧の晩年を送り、同地に没した。光悦の芸術活動はやがて尾形光琳尾形乾山を代表とする「琳派」へと発展する。鷹が峰光悦村と称された当地は、五代光伝まで続き延宝7年(1679)幕府に返還され、六代光通は江戸に出た。光悦の法名は「鷹峰山大虚庵了寂院光悦日予居士」。

本阿弥光室(ほんあみこうしつ)     天正11年〜寛永2年(1583-1625)

    刀剣鑑定・研磨家。本阿弥本家10世。名、直忠。本阿弥光悦の姉(妙光)が本家に嫁ぎ総領の本阿弥光室を生む。光悦の妻も本家から嫁いでいるなど、両家は親密な関係にあった。この本家本阿弥光室は将軍秀忠の刀脇差御目利指南として仕えている。元和8年(1622)前田利常の助勢により中山法華寺に五重塔を寄進。墓は、京都にもあるとされているが、妙法寺の墓が本物かも知れない。千葉県市川市中山の法華経寺にも分骨墓と言われている墓がある。「常賢院光室日栄居士」。

本阿弥光瑳(ほんあみこうさ)     天正6年〜寛永14年(1578-1637)

     刀剣鑑定・研磨家。名、次郎左衛門。祖父本阿弥光二の家系の片岡乗瑳の弟。光悦の養子となり光瑳と改名。技は、家始まっての名人と評価される。元和元年(1615)鷹が峰移住に光悦に従い、光悦邸の北隣りに間口20間の居を構える。光悦と同じ年に没する。60歳。妻は、本阿弥光徳の娘妙山。「清心院光瑳日喜居士」。

本阿弥光甫(ほんあみこうほ)     慶長6年〜天和2年(1601-1682)

     陶工・画家・刀剣鑑定・研磨家。号、空中斎。父、本阿弥光瑳。本阿弥光悦の孫。幼少より技術を仕込まれ名手となる。茶・香道を好み、書画・陶芸に精通。特に信楽土の赤楽茶碗が有名。加賀前田侯より300石を受ける。茶は、流祖古田氏に学ぶ織部流。法橋となり寛永18年(1641)法眼に叙す。82歳。二男の本阿弥光山は、宗家の養子として分家し、加賀本阿弥の祖となる。「空中斎光甫日諦居士」。

墓は、妙法寺(谷中4)。本堂裏墓地の最奥。光悦の墓は、京都市北区鷹峰光悦町の光悦寺にあるが、谷中の妙法寺には、本家の本阿弥光室の墓もあり、他に20を超す(下記参照)本阿弥家の人が祀られていて、こちらが菩提寺であったことは間違いないだろう。また、その後の六代光通の墓もあることから、菩提寺としてあり続けたものと思われる。光悦寺は、光悦が亡くなるまで本阿弥家の位牌安置所であって寺ではなく、光悦が亡くなってから寺にしたもので、改葬か分骨などしたのだろうと考えられる。光悦寺に墓のある光瑳、光甫の墓も妙法寺にある。

祀られている方々は以下のとおり。
本阿弥光悦(太虚庵:了寂院光悦日豫居士)、光室(光悦の甥だが宗家長男)、光徳(宗家:松田益忠)、妙光(光悦の姉で宗家光徳の嫁)、妙貴、光徳室2名、光温(みつはる)、光温室、光達、光達室、光常(十二代)、光常室、光瑳(光悦の養子)、光甫(光瑳の子:空中斎)、光伝(五代)、光通(六代)、光春、光由、光賀(水戸本阿弥)、光意、琳雅、光葆、光葆室、光謙、光謙室、光謙継室、光遜、日洲。

本阿弥光悦墓(碑)



本阿弥光室墓



その他の本阿弥家墓