本多忠貫(ほんだただつら)    天保4年11月28日〜明治31年6月20日(1833-1898)

    伊勢神戸藩第7代藩主(最後)。子爵。父、出羽新庄藩第10代藩主戸沢正令(二男)。江戸出身。幼名、敬之丞。号、容膝斎・桃園。戸沢正美の弟。本多忠鋒の父。神戸藩嫡子が早世のため安政3年(1857)2月神戸藩6代藩主本多忠寛の養子となり安政4年(1857)4月26日忠寛の隠居に伴い家督を相続し、第7代藩主となる。安政5年(1858)11月23日従五位下に叙せられる。文久3年(1863)伊勢山田奉行。明治元年(1868)7月15日?奉行被発。版籍奉還により藩知事、廃藩置県により免官。明治17年(1884)の華族令で子爵となる。明治20年(1887)12月26日正五位に叙せられる。上野東照宮社司。66歳。養子、本多忠恕・本多忠鉾。

墓は、谷中霊園甲9号4側。奥。正面「揚徳院相誉実音忠貫大居士」。