堀直明(ほりなおあきら/なおあき)/奥田直明 天保10年9月3日〜明治19年9月18日(1839-1886)
信濃須坂藩第14代藩主・子爵。父、第11代藩主堀直格(六男)。江戸生まれ。法名、奥田直明。母は側室。慶応4年(1868)異母兄の堀直虎の自害にともない、兄直虎の養養子となり家督を継ぎ、須坂へ移り、14代藩主となる。須坂に新しく「議事館」を設け、大小すべてを論定。従五位下長門守。直虎は幕府側に組みしたが、直明は新政府側に与し、会津に藩士を送り込んだ。明治2年(1869)版籍奉還で藩知事となる。明治3年(1870)農民暴動が起こり、その不祥事で大参事と共に謹慎する。明治4年(1871)廃藩置県で免官となる。明治10年(1877)に奥田姓に復姓する。石油会社に投資し失敗、破産寸前となる。千百余冊の蔵書を政府に献納する。戊辰の役以後は国政の進展に尽くす。正五位勲四等旭日小綬章。48歳。
墓は、甲8号22側。さくら通り沿い最も天王寺寄り。正面「正五位勲四等子爵奥田直明之墓」。