堀越千代子(ほりこしちよこ)/堀越千代     安政6年8月15日〜昭和23年4月4日(1859-1948)

    私立和洋裁縫女学校創立。岩手県盛岡出身。堀越修一郎の妻。父、村野儀平(四女)。明治16年(1883)米国式東京洋服裁縫学校に入学。卒業して同校教師となる。教職2年の後、フランス式裁縫を10年間修業。明治30年(1897)2月麹町区飯田町に私立和洋裁縫女学校を創立、校長とな、和洋学園の基礎を築く。東京府教育会伝習所で教える。明治42年(1909)文部大臣認定校となる。都下の大裁縫学校となる。大正12年(1923)堀越高等女学校を創立。昭和3年(1928)和洋女子専門堀越高等女学校・堀越家政女学校に発展させ各校長を兼務。東亜婦人会理事もつとめる。勲六等。90歳。著書:「和洋裁縫教本」。

※ 大妻学院(大妻女子大学)を創立した大妻コタカも卒業生の一人。

堀越修一郎(ほりこしゅういちろう)     弘化4年?〜大正7年3月31日(1847?-1918)

     明治期の教育者。仙台出身。藩校「養賢堂」に学ぶ。明治になり埼玉の深谷小学校で教鞭を執る。その後上京して明治10年(1877)週刊自由投稿誌「頴才新誌(えいさいしんし)」を創刊、明治維新後の志気旺盛な若人の才気を啓蒙することに努めた。後に妻の堀越千代とともに和洋裁縫女学院・堀越高等女学校の創立にかかわる。孫に、堀越学園理事長の堀越克明がいる。71歳。

※ 「頴才新誌」の投稿者としては、尾崎紅葉・山田美妙・佐々木信綱・大町桂月・田山花袋などが知られている。

堀越千秋(ほりこしちあき)     明治10年〜昭和20年9月5日(1877-1945)

     陸軍大佐。父、堀越修一郎(長男)。東京出身。日露戦争に従軍。大正13年陸軍大佐。昭和4年(1929)予備役。従四位勲3等功五級。堀越高等女学校副校長。69歳。

墓は、谷中霊園 乙2号8側。正面「堀越家之墓」。千代子:「慧観院春屋妙照大姉」。修一郎:「達観院正堂不偏居士」。千秋:「清泰院千峰宗秋居士」。