市橋長昭(いちはしながあき) 安永2年4月7日〜文化11年9月27日(1773-1814)
近江仁正寺藩の第7代藩主・仁正寺藩市橋家8代。号、黄雪。父、第6代藩主市橋長l(長男)。母、 肥前国平戸藩第8代藩主松浦誠信(まつうらさねのぶ:1712-1779)の娘勝(寛保3年9月26日〜享和2年10月8日・60歳)。正室、酒井忠順(出羽国庄内藩主酒井忠温の次男)の娘。側室、夏原氏・斎藤氏など。市橋長勝の8代孫。従五位下、下総守。天明5年(1785)父の死去にともない家督を相続。藩校「日新館」を創設し文武を奨励する。西生懐忠に「蒲生旧址考」を編纂させる。同時代の毛利高標・池田定常らと共に文学愛好の三候の一人と称される。文化5年(1808)蔵書中の珍籍を昌平坂学問所に献納する。42歳。後継は、長男の市橋長発(いちはしながはる:1805-1822)。
墓は、南泉寺墓地(西日暮里3-8-3)。高台墓地の入り口、階段上。正面「泰雲院殿前總州大守文翁龍章大居士」。