市橋長富(いちはしながとみ) 文化2年2月22日〜安政6年11月20日(1805-1859)
近江仁正寺藩主・仁正寺藩市橋家9代。父、出羽国庄内藩主酒井忠徳(さかいただあり)(四男)。正室は南部信真の娘。従五位下。主殿頭。文政5年(1822)先代藩主の市橋長発(ながはる)が若死のため、縁戚として長発の養子となり後を継ぎ藩主となる。砲術家の高島四郎太夫から砲術を学ぶ。天保15年(1844)10月7日隠居し養嗣子の市橋長和(長義)に家督を譲る。55歳。
墓は、南泉寺墓地(西日暮里3-8-3)。高台墓地へ上がる階段の上の宝筐印塔。市橋長義墓に並ぶ。正面「性善院殿前殿中監円山道覚大居士」。「性善院殿円山道覚大居士」