市橋長善(いちはしながよし)     ?〜正保4年12月19日(?-1647)

    藤原氏支流武藤の末裔。名、源八郎・三四郎。幼いとき父を亡くし、母方の市橋長勝に養われ、武藤を市橋に改める。元和7年(1621)長勝の臨終にあたり召されて将軍徳川秀忠に拝謁。元和8年(1622)御書院番。長勝の子市橋長政の所領2000石をもらう。元和9年(1623)作事奉行、のち御使番。同年豊後国府内御目付代となる。元和10年(1624)御目付となり3000石となる。妻は、市橋長政の娘

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。市橋長勝墓の隣り。「玄悟院殿常知日橋大居士」。