井口小十郎(いぐちこじゅうろう) 文政3年〜明治18年3月(1820-1885)
新道無念流武術家。本姓、若林為則。通称、小十郎。武州秩父郡横瀬(埼玉県秩父)出身。関宿藩士。23歳で江戸に出て、神道無念流中興の祖である戸賀崎熊太郎に剣法を学び、その高弟となる。嘉永2年(1849)関宿藩士井口新六の養子となり30石。文久3年(1863)筑波山の挙兵に参画し、参謀となる。のち武州に道場を開き、数百人の門下生を持つ。慶応2年(1866)藩主久世広文に抱えられ40石を与えられる。維新の折り家老杉山対軒の勤王の考えに反対し、富山匡之助と共に、並塚村の庄内古川付近で暗殺した。その結果、久世藩は、戊辰戦争では左幕派となり新政府に敗れた。廃藩後は、神道実行教に入り布教する。66歳。
墓は、谷中霊園 甲新12号18側。天王寺墓地フェンス寄り。正面「井口小十郎墓」。墓碑周りに来歴あり。