池上秀畝(いけがみしゅうほ) 明治7年10月11日〜昭和19年5月26日(1874-1944)
日本画家。父、池上庄八(二男)。通称、国三郎。号、国山のち秀畝。別号、伝神洞主人。父、池上秀華(二男)。祖父、池上休柳。伊那市高遠(長野県)出身。幼児のころから絵に親しみ、家業の小間物問屋を手伝う傍ら、写生を続け、12歳頃には既に優れた作品を残し、14歳頃には「国山」と号した。明治22年(1889)16歳で上京し荒木寛畝に師事文人画を学び、4年間を過ごす。南北合流を研究。明治41年(1908)第2回文展に初入選。明治45年(1912)谷中に「伝神洞」画塾を開設。大正5年から大正7年(1916-1918)の文展で連続3回特選となる。大正7年(1918)同志と「新結社」を発表。大正8年(1919)帝国美術院が創設され、文展から帝展に代わる。大正12年(1923)帝展委員。昭和8年(1933)帝展審査員、帝国絵画協会会員、日本美術協会顧問。山水花鳥画を得意とした。71歳。作品:「夕月」、「峻嶺雨後」、「時雨」、「初冬」、「梢の秋」、「五月雨」、「聖徳太子」、「黎明」、「薄暮落雁」、「古城驟雨」など。夫人は、トヨ(下記)。
池上緑畝(いけがみりょくほ) 明治6年〜昭和37年(1873-1962)
日本画家。池上秀畝の妻。女子学習院美術教授。大岡力の妹、また衆議院議員大岡育三の妹でもある。90歳。「福洋院豊室緑畝大姉」。
墓は、谷中霊園 甲8号8側。正面「池上家之墓」。「清高院殿韓山秀畝居士」。