井本常作(いもとじょうさ)     明治13年〜昭和44年6月1日(1880-1969)

    衆議院議員・東京第1弁護士会会長。群馬県出身。明治40年(1908)8月 「赤旗事件」時に4夫人の弁護士となる。のち、日本印刷取締役。東洋女子歯科医専務理事。東京第1弁護士会会長。昭和5年(1930)立憲民生党群馬2区より衆議院議員に当選。同年第59回帝国議会衆議院司法参与官。代議士当選3回。昭和6年(1931)東京大勢新聞社長。従四位勲三等。89歳。

※ 「赤旗事件」: 明治41年(1908)6月22日に発生した社会主義者弾圧事件。別名、「錦輝館事件(きんきかんじけん)」、「錦輝館赤旗事件(きんきかんあかはたじけん)」とも呼ばれる。

墓は、寛永寺谷中墓地。正面「井本家之墓」。徳川慶喜墓近くの勝精墓の右側のエリア。「顕徳院常誉寿仙法道清居士」。